昇格助っ人続々来日

仙台にJ1復帰の使者・朴がやってきた
パク・チュソンには実績もあり昨年弱点だった左SBが大きな武器に変貌することが期待でき楽しみだ!
今夜には、ブラジル人助っ人ソアレスエリゼウのふたりもやってくるようですね。


若い力も自主トレで頑張ってるぞ!
J2仙台 曽我部と島川合流 新天地で飛躍誓う

河北の記事によれば、
練習場では、MF菅井直樹ら選手10数人も体を動かし、キャンプインに向けて調整が本格化した。19日に来日したDF朴柱成も汗を流した。

これからの日程だが
1/23(金) 新加入会見
1/24(土) 始動日
1/25(日) 必勝祈願(大崎八幡宮)・激励会
1/27(火) 1次キャンプ鹿児島県さつま町
2/7日(土) 2次キャンプ延岡市
2/15(日) 33キャンプ宮崎市 
練習試合 G大阪戦 
練習試合 広島戦
練習試合 山形戦
3/7(土) 第1節コンサドーレ札幌(札幌ド)
3/14(土)or /15(日) 第1節 ファジアーノ岡山

2CHによれば、その後の予定が
甲府、A湘南、H東京V、A大阪、A岐阜
でも開幕もみかんちゃんってのもガセだったしはたしてどうだか????





さて昨日まで散々振り回されたカカーの移籍問題

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カカー移籍騒動の裏で何が起こっていたのか

両クラブの異なる主張と、あまりに出来過ぎた結末

ちょっと長いけど非常に興味深い内容です。
この数日、サッカー界を賑わせたカカーのマンチェスター・シティへの移籍騒動は、ミランベルルスコーニ・オーナーの“残留宣言”により一応の終わりを迎えた。

 ヨーロッパの北と南で繰り広げられたメディア戦争は、様々な憶測を呼び、そして拡大していった。だが結果的には、メディア界の絶対的な権力者であるベルルスコーニ氏の思惑通りに、彼自身、そしてクラブにとっても好ましい形で決着したと言っていいだろう。

 ベルルスコーニ氏、登場

 (以下は、事の顛末である)1月19日(現地時間)、イタリアの多くのテレビが、ミランマンチェスター・シティとの間でカカーの移籍が合意に達したと報じた――マンチェスター・シティのギャリー・クックCEO、カカーの父親で代理人のボスコ・レイテ氏、さらにはミラン代理人の3者が契約書にサインを交わし、法律上の手続きを終えたということだった。あとは、カカー本人のサインを残すのみだという…。

 だが、あるジャーナリスト連中(スカイ・イタリアの記者など:ベルルスコーニ氏の会社の人間ではない)が、別の驚くべき展開があること――ベルルスコーニ氏がこの取引を拒めば、すべては白紙に戻る――ことを唱え始めたのだ。

 そして、それからわずかに5分後、驚くべきことに、他でもないベルルスコーニ氏が「カカーはどこにも行かない」と高らかに宣言し、事態をひっくり返したのである。

 彼はイタリアで有名なTVショー『Il Proceso di Biscardi』のなかで、「カカーは売却不可能であり、彼はミランに残る」とコメントし、サッカー界を揺るがした世紀の移籍騒動に終止符を打った。「彼を売らなくてはならないかもしれない」と発言していた数日前から一転、今度は「売却不可能」であることを明言するなど、大きな心境の変化が見て取れるが、あるいはこれ以上、愛するクラブへの非難を許すことができなかったのかもしれない。

もちろん、ベルルスコーニ氏の“誇張された”スピーチには、あいまいな側面が多く見受けられたことも事実だ。「カカーにとってはお金がすべてではない。ミランで仲間達とともにプレーすることに幸せを感じているんだ」と、作り笑いを浮かべながら彼は話している。しかし――このことは、カカーがミランに留まることを決めた要因の一部分に過ぎないか、あるいは、カカーが(少なくとも)ベルルスコーニ氏の決断を受け入れたというのが真実だろう(おそらく後者だと思われる)。

だが、遠いマンチェスターの地では、まったく違うストーリーが展開されていた…。

交渉から手を引いたのは…

ベルルスコーニ氏の“熱のこもった”発表のわずかに数分後、マンチェスター・シティは、自分達こそが交渉から手を引いた立場であることを主張した――ミラン側との意見の相違により、すべての取引をキャンセルしたのだという。

彼らは、ベルルスコーニ氏に対して直接的に反論しているわけではない。彼らは、公式サイトで自らの言葉を使って今回起こった事態を暗に伝えている――現実的な話し合いが行われる前に、交渉が決裂していたということを。

ギャリー・クックCEOは言う。「確かに、我々がカカーのようなワールドクラスの選手達に興味があることは事実だが、一方でファンのためにも、移籍は正当なものでなければならないと考えている。商業的にも、金銭的にも、そしてピッチの上で結果を出すという意味においてもだ」

この言葉が意味するのは、少なくとも両者の間で話し合いが行われ、意見の相違が大きくなる前にシティが手を引いたということだ。 “ベルルスコーニ氏が交渉の場に現れ、両手をテーブルに叩きつけて大声で怒鳴る”イメージとはかけ離れたもの――シティ側がスマートに交渉の席を立ち、肯定的な言葉とともに握手を交わし、そして部屋を去る――といった“紳士的”な交渉イメージが、そこからは読み取れる。

出来過ぎた結末

この2つの矛盾する主張、そしてあるいは2つの似通った――多少の違いはあるが――意見は、今回の一連の経緯を説明している。

だが今一度、客観的な目で今回の事態を見てみたい。この2つの結末――双方ともに、意見の相違が交渉決裂の決め手となったと主張している――は、両クラブにとってポジティブなものになるよう仕組まれていたようにも感じられる。だが、このこと自体は驚きではない――こうした移籍騒動から脱するのに、馬鹿げたやり方など誰も望んでいないからだ。

様々なメディアの情報源は、昨夜の会合についての大部分を以前から知っていた節があり、また結末があまりにタイミングのいいものであったことも事実だ。ベルルスコーニ氏の交渉介入の可能性がメディアに流れた数分後に、彼がテレビに登場したのもあまりに都合のいい話と言える。あるいは、月曜日の夜に始まったこの“ドラマ”のすべてが、あたかも仕組まれていたかのような印象を与えることも否定できない。

ミランのオフィシャルサイトでは、カカーの残留宣言とともに、ベルルスコーニ氏への賛辞の言葉が贈られている。

“00:16>リッキーがミランに残留”――本文を読んでみる。“価値あるものはただひとつだけ、ミラニスタの愛が勝利した!ありがとうオーナー!ありがとうカカー!”

そして当のカカーはこう話している。「たった30秒でさえもミランを去ることなど考えなかった」

この移籍騒動は、今冬において最も興味深いものであり、そして少なくとも“表向きには”心温まるエンディングを迎えたと言っていいだろう。クラブによるメディア策謀の有無にかかわらず、カカーが自宅前に集まったファンに対して取った行動(背番号22のユニフォームを高らかに持ち上げ、その後サポーターとともに手を叩いた)は、人々の心に末永く刻み込まれることだけは間違いない。

結局ミランのトップの連中に踊らされたマスコミ。それを信じたミラニスタや一般人ってことなんですかね??
とにもかくにもカカーはミランに留まり、気分一新大活躍を期待したい!
気がつけば週末の試合で首位インテルがコケてくれて、ユーベもドローで追い風が吹いてるぞ!!!!

Forza!!!Kaka!!!!'