松田選手を偲ぶ

 
昨日の午後、ニュース速報で聞いたときはしばらく何もできなかったくらいショックだった。
 
絶対回復すると信じてた。
誰もがそう思ってたに違いない。
 
サッカーの神様は時として残酷な結末を演出してしまうんだね・・・
 
関係者にはすでに昨日の朝の段階でこうなることも伝えてられていたようだ。
 
兄貴分と慕ってた俊輔も午前中の連練習後、松田選手の入院してる長野県松本市の信州大病院に向かった。
 
練習後にはいろんな人からいよいよかもしれないと聞いていて覚悟してようだ。それでも奇跡を信じて自らハンドルを握って車を走らせてたようだが、一番聞きたくない一報がその途中に入った。
 
 
 
病院に到着する前に号泣したのかもしれない?昨夜のニュースでインタビューされてた俊輔の表情は悲痛で目は真っ赤だった・・・・
 
松田選手は、昨年マリノスを戦力外になって、海外チームやJのチームからの誘いを蹴って入団したのがJの下部組織JFLの松本山雅だった。
 
俊輔は、その決断をした松田に「松本山雅をJ2に昇格させるんですね??」と言ったら・・
 
松田は「バ~カ!J1にだよ!」と笑って答えたそうだ。
 
どこまでもサッカーを愛し、サッカーにとことん熱い選手だった。
 
アトランタ五輪マイアミの奇跡トルシエジャパンの主力として2002年W杯ベスト16に貢献等日本サッカーの急成長の象徴的存在だった。
 
 
 
イメージ 1昨年8月7日ユアスタでのマリノス戦。
 
以前から俊輔ファンでカメラの先は俊輔ばっかで(苦笑)松田選手の正面の画像はなかったが背番号3が躍動した試合だった。
 
 
熱く闘志むき出しでセキともバトルしていた。
 
 
 
 
 
 
 
この試合の決勝ゴールは松田選手が決めたのだ。
そしてこれが松田選手のJ1での最後のゴールとなった。
 
俺にとって、いや仙台サポにとってこれからも決して忘れられないゴールのひとつになるだろう。
 
俺は、2002年W杯の決勝トーナメント日本vsトルコを宮スタで観ることができた。
もちろん松田選手の活躍も目に焼き付いてる。
 
そしてユアスタでのこの最後のゴールもしっかり目の前で観れた。
 
太く短いサッカー人生だったが、すべてのサッカーファンをサポを熱くさせてくれた君のプレイは決して忘れないよ!
 
松田選手!ありがとう!
 
そしてお疲れ様でした・・・・・・